• 2009-04-09

    有关生活 - [反文艺情调]

    也许是正午的阳光太像死亡般狂欢的夏日,也许是看多了点张大爷,也许是人肉多了点图

    总之——

    我产生了暑假走  海东-甘南线|宁夏-甘南线  的念头

    原谅我做不到就此沉寂而至荒诞的无聊

    如果我说去互助、民和、循化etc有利于接近张大爷请千万不要嘲笑为借口

    祁连还是贺兰山

    虽然喀什在遥远的遥远的中亚腹地若无其事并无等待

    我真的不要在上海,再再再再再呆下去了

    对不起江南水乡于我天理不容

    本人将在可见的未来长驻京城,像守着我的坟荥一样守着地坛,守着那些苍老的树、那些深深的空气、那些比冷漠来得更残酷的人们。拥有比爱情多得多得多的爱与热情。

    它永远沉默。

    如果时至今日,张承志还能给我什么,那只能是对能够以自己的力量生活的确信

  • 于是我在这样黑漆的夜里回来猛然醒悟,自己不过是个外刚内脆的普通人。

    外刚内脆……

    拯救的方法不是自残,而是节制。任何,任何,任何时候,节制。

  • 2009-04-03

    渡鸦 - [rockrockrock]

    流血

     要印红整个季节 在灿烂的世界 我阻障下一次风雪
     要印红整个黑夜 是命运中一切 拒绝那拥有的快乐
    不要让我做 我做得已太多 要干什么 我值得 
    不要让我说 我说得已太多 要为什么 我流血

    渡鸦乐队,《拾月》。主唱这样老老实实地坐着弹琴,开口唱,瘦得惊人,据说在CCTV工作。

    我说音乐牵连的是很多私人性的感情与记忆,有人认可。我说真的爱与假的爱其实很容易分辨,也有人认可。还有一些话我没有说,但是真的人都明白。04年,吴宁越那样傻小子似地站上台,浑身不自在,但是唱得如此充沛,空气里都是他全力挣扎与呼喊的声音,夕阳正照在脸上——在那一刻我是怔住的,激荡着难忍的悲怆,我真的以为,这是地下摇滚群像中可以被铭刻为标志性的一尊。

    某种意义上,我是可以自我完成的。但是,又是不能够——不被容许。花看日语与张承志的时间听摇滚是罪恶的吗?

    现在再引出任何的情绪,都是不合时宜的。曾经直白地说:我很难过。然后等死一般地蜷在黑夜里。那样的日子,永远也不想再有。

    • 梅村坦編訳『モンゴル大草原遊牧誌-内蒙古自治区で暮らした四年』(『朝日選書』301)、朝日新聞社、 1986年4月。ISBN 4-02-259401-2
    • 小島晋治・田所竹彦訳『紅衛兵の時代』(『岩波新書』新赤版222)、岩波書店、1992年4月。ISBN 4-00-430222-6
    • 『回教から見た中国-民族・宗教・国家』(『中公新書』1128)、中央公論社、1993年4月。ISBN 4-12-101128-7
    • 梅村坦編訳『殉教の中国イスラム-神秘主義教団ジャフリーヤの歴史』、亜紀書房、1993年10月。ISBN 978-4-7505-9310-4
    • 岸陽子訳『黒駿馬』(『新しい中国文学』4)、早稲田大学出版部、1994年2月。ISBN 978-4-657-93036-1
    • 『鞍と筆-中国知識人の道とは何か』、太田出版、1995年11月。ISBN 4-87233-226-1
    • 磯部祐子訳『北方の河』、露満堂、1997年11月。ISBN 978-4-7952-1042-4

    ————from  日文wiki

    《红卫兵时代》得弄一本去。

    又及,真是很累。很累。很累。怎样也休息不过来的累。不能在高峰时间吃饭及走路,受不了那么多人那么噪杂,这似乎比睡眠不佳更值得重视。

  • “不知为什么我总觉得此生若还有一件遗憾,那就是没有真正成为喀什的儿子。我说不清楚对喀什怀着的是怎样的一种感情,虽然它清晰地时时在我胸间涌涨。它不是嫉妒也不是后悔,它不是浪漫的幻想更不是梦,它只是一种因为觉察到‘没有那样活过’而导致的深刻空虚。”

    “每一个陶罐,每一辆风尘仆仆的毛驴车,每一个白髯的老者和白磁般的儿童,都连接着那么巨大的命题;逼人思索人道和国家、隔膜和亲密。这一切令人感觉沉重,渐渐地难以诉说。你这中亚名城莫名地涂着一抹忧郁,站在你的土地上我总是暗自难过。”

    “喀什噶尔,这奇妙的小城是为了给世界补充一种生活方式才诞生的”

    “那个苦恋着小巷深处背水姑娘的少年,已经不能在哗哗地掀动杨树叶子和催动滚滚渠水的晚风里,每天晚上走向一座土坯的小院。”

    “那时的小伙子可以不再为思想而痛苦。他可以学一种自然的技艺,比如打馕、镶嵌、木匠或者铁匠。白天让汗水出得酣畅,晚上拿上一把琴,热瓦甫或是吉它,到姑娘家住的深深巷子里去,一直唱到月上中天。”

    (张承志 《相约来世》 1997.4)

  • 小さな出来事

                               魯迅 作

                               竹内好訳

      私が田舎から北京へ来て、瞬く間に6年になる、耳に聞き目にみた国家の大事なるものは、数えて見れば相当あった、だが、私の心にすべて何の痕跡も残していない。もしその影響を指摘せよ、と言われたら、‘日増しに私を募らせただけだーーもっと率直に言うと、日増しに私を人間不信に陥らせただけだ、と答えるほかない。

      ただ一つの小さな出来事だけが、私にとって意義があり、私を癇べきから引き離してくれる、今でも私はそれが忘れられない。

      それは、民国6年の冬,酷い北風が吹き捲くってる日のことである。私は生活の必要から、朝早く外出しなきゃなかった、ほとんど人っ子一人あるいていなかった、ようやく人力車を一台捕まえ、S門までいくように命じた。。しばらくすると北風がいくらか小止みになった、路上の埃葉すっかり吹き清められて,何もない大道だけが残り、車はいっそうスピードを増した。やがて門に行き着こうとするころ、不意に車の梶棒に人が引っかかって、ゆっくり倒れた。

      倒れたのは女だった、髪は白髪混じり、服はおんぼろだ、いきなり歩道から引き出して、車の前を横切ろうとしたのだ、車夫はかじを切って道を明けたが、綿のは見出た袖なしの上着のポックがかけてなかったために、微風にあおられて広がり、それが梶棒にかぶさったのだ。幸い、車夫が早く車が止めたよかったものの、そうでなかったら、ひっくり返って頭を割るほどの事故になったかもしれない。

      女は地面に伏したままだし、車夫も足を止めてしまった、私が、その老婆が怪我とはおもえなかったし、ほかに誰も見ないだから、車夫のことを、おせっかいなやつだと思った、自分からいざこざを起こし、その上私も迷惑がかかる。

      そこで私は「何もないよ、やってくれ」と言った

      しかし車夫は、耳も貸さずに----聞こえなかったのかも知れないが-----梶棒を下ろして,老婆をゆっくり助け起こし、腕を支えて立たせてやった。そして尋ねた、

      「どうしたね。」

      「けがしたんだよ」

      私は思った、お前がゆっくり倒れたところを、この目で見たんだぞ、怪我などするものか、狂言に決まってる。実に憎いやつだ、車夫も車夫だ、おせっかいの度が過ぎる,それほど事を構えたいなら、よし、どうしても勝手にしろ。

      ところが車夫は、老婆の言うことを聞くと、少しも躊躇わずに、そのうでを支えたまま、一足一足歩き出した、私は怪訝に思って前方をみると、そこは派出所だった、大風の後とて、外は無人だった。車夫は老婆を肩に貸して、その派出所を目指した。

      その時ふと異様な感じが私を捉えた、埃塗れの車夫の後姿が、急に大きくなった,しかも去るにしたがってますます大きくなり、仰ぐがなければ見えないくらいになった、しかも彼は私にとって一種の威圧めいたものに次第に変わって言った、そしてついに、防寒服に隐されている私の卑小を絞り出さんばかりになった、

      その時私を活力は冻りついたように、車の上で身動きもせず、ものを考えもしなかった、やがて派出所から巡査が現れ多野で、ようやく車から降りた、

      巡査は私のところへ来て言った、「ご自分で車を拾ってください、あの車夫は引けなくなりましたから。」

      わたしは反射的に、外套のポケットから銅貨を一つかみ出して巡査に渡した、「これを車夫に……」

      風はまったく止んだが、通りはまだひっそりしていた。私は歩きながら考えた、しかし考えが自分に触れてくるのが自分も怖かった。さっきのことは別としても、この一つのかみの銅貨は何の意味か、彼へのほうび、私か車夫を裁ける?私は自分に答えられなかった

      この出来事は、今でもよく思い出す、そのため私は,苦痛に耐えて自分のことに考えを向けようとド努力することにもなる、ここ数年の政治も軍事も私にあっては子供のころ読んだ「しいわく、しにいう」と同様、一つも記憶に残っていない、この小さな出来事だけが、いつも眼底を去りやらず、時には以前に増して鮮明に現れ、私に恥を教え、私に奮起を促し、しかも勇気と希望を与えてくれるのである。

                                   1920年7月

  • 2009-03-11

    黄昏 - [爱,或自我]

    有黄昏睡眠的习惯真的不好。醒来时走廊朗朗的都是人声,但是从来没有哪一刻让我觉得它们离我这么远。你们在这里。我不在。醒来照常天已黑尽,模糊的意识在胸腔里跌荡的都是凄惶。想要辩白与倾诉的欲望无望地生长出来,泪渗出来令人绝望。我无罪,但是谁理会?

    一天胜似过一生是个失败的习性,你不知道么。

    音乐和着将至的雨水怎样也不能预示开心的到来。布衣。那么久。那么久那么久。

    放下日语拿起张承志是因为《正午的喀什》和《夏台之恋》:

    “女人们更是如此。难言的娇美,痴醉的歌舞,和拒绝的褐色盖头巾,都不可思议地同属她们。仿佛她们神秘的女体,在不语之中暗示着彻底的快乐和禁忌。一切都藏在她们的深处。”

    “我们都不过是些牧羊人,终生不过依循了血统的教训。”

    “那些年我总是喝酒,就像这些年我总是不喝酒一样。人有时需要放纵做解脱,有时又需要禁忌做解脱。”

    冬天的时候,蜷在家里那宽大的床上,我说的是,决心不再为能指所欺。但是潘汝良告诉我们,只是他愿意呢?必要的假……必要的假。

    又及,在图书馆翻杂志,05年的木马,刚发《果冻帝国》。那时的谢强甚而强壮,短发,与现在的美丽迷离相比,能看见坚实的希望。现在听《feifei run》……懂得的人,应该听它,直到听懂为止。

  • 感觉无可救药地进入倦怠期,什么也不想做。于是一周的课全逃了。

    上百号奔三乃至奔四的人坐在大教室里学英文这是怎样一种光景,为什么我怎样也觉得十分离谱。不能这么做。但是无论如何怎可以如此。于是约小朋友晚上跑步。小朋友作为一名长年疑似体弱多病的少年,无人不佩服他对医院的向往之情。似我这般全不得以进医院者,只能够赶紧塞上耳机开大音量听《不朽》。形形色色的男女形形色色的神情,或淡漠或慌张或顾左右而言他,看得见人间百态,其心也凉。在这里,没有一个人是恰如其分的。

    也许是上周太劳累。周末去见一并无血缘关系的远亲,迎风竟款款走上来一理想型。高瘦,深邃双眼,尾纹含笑,恰当好处的礼节。可惜他的孩子并不像他,全然像他外表并不很过得去但显然气势甚盛的母亲。五角场吃完饭,欲打发其它人先回家送我上车。如果是文艺小说,这是个多好的开头。接下来的情节男女皆宜,情窦初开纯******可以展开纠结苦情的初恋,压抑白领老男人能够幻想有情有义有始有终的劈腿。句子可以出离情节游离感情,蘸上点孤独绝望情绪,文艺大概就是这样炼成的。

    三点有梁文道来扫场,但我的任务居然是看标日。

  • 从某年冬天起,很久没有单曲循环了。今天一直在听Howie Day。

    生活需要谎言,网络需要真实。前者为因,后者为果。于是我被人称为网特。其实那是很多年以前一个至今没露过面的人给我上的第一课,宣言叫作:网络无秘密。后来我们都做了实践,证明了此命题为真。但实践它的前提是有花在网络的时间与精力,可见但凡人肉者,都极靠不住。

    自从失恋之后有一些不得不正视的自我改变。有一些是好的,比如从理想主义那里撤退,从浪漫主义之处逃离,所以今天的开篇叫反文艺情调。感谢这一切,照亮了我的缺陷,清晰了我的底线,展现了现实的真实,自我意识的陡然增长没有它是不可能的。有一些不大好,比如睡眠质量终于长年的坏下来了。我是在黑暗中感到自由者那一类,但并不喜欢半夜无穷无尽的思维与回忆,也从来不愿黎明骤醒感到清冷、凄凉或是孤独毫无安全感,这些都是不够愉快的。这时想起我的启蒙时代里徐晓说“上帝是公平的,从来不把你承受不了的东西强加于你”。这是赤裸裸的诡辩/寻唤。

    无论如何,物是应该爱和可以尽情爱的。美好的事物,比如,吉他、钢琴、诗歌、高原、雨夜,到底是美好的。当然前提是它们的确是物。

    前几日遇见极品,深以自己受了还算可以的教育为幸,不受教育者,实在不懂得讲道理,这太可怕了。虽然受教育者可能更极品,因为学会了用话语来高大自己的卑贱,所谓知识越多越反动,但不受教育却是可能性也没有了。时间已经很少了,对我来说,应该多读书少思考为正道。

    Howie Day:You&A Promise——吉他绝对是世上最好的东西之一。